第42回来日公演
「ヴェニスの商人」
"Merchant of Venice"
あらすじ
舞台は水の都ヴェニス。商人アントーニオは、親友バッサーニオから苦しい胸の内を打ち明けられる。彼は、ベルモントに住む美しく裕福な令嬢ポーシャに恋い焦がれており、結婚を申し込みたいのだが、求婚のための資金として先立つものがないという。
大切な親友を助けたいアントーニオだが、貿易商である彼の全財産は今は航海中の船の上。どうにかして3000ダケッツという大金を工面するべく、彼は悪名高い強欲な高利貸しシャイロックのもとを訪れる。
日頃より自分たちユダヤ人を差別するヴェニスの人々およびアントーニオに対して激しい恨みを募らせていたシャイロック。そこで彼は、金を貸す一つの条件を示す。それは万一期日までに返せない場合、借金の肩代わりとして、アントーニオの胸の肉1ポンドを切り取るというものだった。期日までには商船が十分に間に合うよう帰ることを見越して、アントーニオはシャイロックの条件を聞き入れ、証文をとりかわしてしまう。
その頃、ベルモントでは莫大な富を相続した美しく聡明なポーシャのもとに次々と求婚者たちが訪れていた。彼女は、亡き父の遺言により、金・銀・鉛の3つの箱のどれかに秘められた自分の肖像画を選んだものと結婚するよう定められていたのだ。正しい箱が当てられず、失敗し次々と去ってゆく求婚者たち。愛するポーシャのため、バッサーニオも箱選びの試練に挑戦する。
そんな折、アントーニオの積み荷を乗せた船が難破し、彼の全財産が失われてしまったという知らせが届く。借金の返済ができなくなった彼に証文通り、胸の肉を取り立てようと裁判に訴えるシャイロック。窮地に立たされたアントーニオは?そして、バッサーニオの恋の行方は…?
公演時間:2時間30分(前半80分、インターバル20分、後半50分)
インターナショナル・シアター
カンパニー・ロンドン
(ITCL)
ロンドンを拠点に、世界で公演ツアーを行い、独特な演出で世界中の観客を魅了しているインターナショナル・シアター・カンパニー・ロンドン(以下ITCL)。今年、5月に42回目の来日公演が実現します。
今回は、シェイクスピア作品の中でも人気・知名度の高い「ヴェニスの商人」を原語上演。長年に渡る海外での英国文学作品普及に追力した功績に対して、英国王室より勲章を受賞したポール・ステッピングが脚本と演出を務めます。
日本で行われる数少ない原語公演(英語)。日本にいながら、一流の海外演劇を鑑賞できる貴重な機会。原語上演だからこそ味わえる、シェイクスピアの持つ言葉のリズムや雰囲気をご堪能ください。

舞台監督 ポール ステッピングスからのメッセージ
上記のブロンズは、ヴェニスにあるゲットーの壁にセットされた一連の作品の一部であり、そのゲットーからは、何千人ものユダヤ人が強制収容所に送還され、ほとんどが生還することはありませんでした。私は最近、この“ゲットー”を訪れたのですが、まさに“ゲットー”という言葉の起源となり、ユダヤ人が自身の保護と集団虐待のために閉じ込められたヨーロッパで最初の場所でありました。
シェイクスピアの「ヴェニスの商人」という作品では、シャイロックのヴェネチア子孫の宿命を無視することは出来ないでしょう。この舞台は我々を魅了し、悩まします。そして西洋文学において、最初に完成された満足のゆくユダヤ人像を表しています。しかしこの作品は、人道的な登場人物の反ユダヤ主義だらけなのです。
現代における作品はこのことに対処していかなければなりません。実際多くの作品はシャイロックの不適切な部分を削除し、商人の資本主義を非難することで対処しています。その他の作品は、ムッソリーニ時代のイタリアでの劇を設定し、1930年代のものと容易な比較を展開しています(ばかげています。ヴェニスの商人の演劇は法に守られていて、独裁国家ではありません)。
では、この複雑でスリリングな作品をどう論じるのでしょうか?シェイクスピアの“問題作品”の一つであることでよく知られていますが、彼はこの作品を意図を持って執筆し、安易な答えを避けたと思うのですが、ヨーロッパ文化は反ユダヤ主義によって定義され境界線を敷かれているというGregor Rezzoriのアイデアに近づいています。(Rezzoriの「反ユダヤ主義の回想」Memoir of an Anti-Semite: A Novel in Five Storiesを参照)
まず始めに、この作品は喜劇であるという事実に対処せねばなりません。この喜劇は二つの織り合わされた構想を通じて機能します。ポーシャとバサーニオの恋愛物語と、アントニオ、シャイロックと同じくバサーニオの法廷ドラマという構想です。すべてのシェイクスピアの劇作品と同じように、それぞれの構想には一方の解説があり、テーマや著者にとって大切なアイデアを発展させています。そしてそれぞれは解決しているのです。ポーシャはバサーニオを痛烈に懲らしめたのち彼と結婚した(ネリッサがグラシャーノを懲らしめたように)。結婚はこの喜劇を決定的なものにしました。本来のキリスト教徒の観客にとって、法廷ではある種のハッピー・エンドとなっています。男装したポーシャはシャイロックに屈辱を与えるが、彼を助けることもしました。シャイロックとジェシカの二人の改宗は天の救済に繋がるでしょう。
現代の観客は文化の壊滅や人種差別による報復を見る一方で、16世紀の観客は、慈悲ではなく救済を与えられた無慈悲な男を見ていたのです。今日、ゲットーのブロンズ救済はユダヤ人の壊滅と強制的な改宗を、ポーシャとグラシャーノと共に得意げに笑うことを許さない。間違いなく我々はこれを拒否します。
我々の作品では、シェイクスピアが喜劇と見せ場の間で、意図している「バランス」を保つようにしてきました。そしてマイナーなキャラクターを取り除き、ヨーロッパ全体とヴェニスでのユダヤ人の歴史を反映するエンディングを勝手ながら提言してきました。
シャイロック:私の命でも何でも取り上げてくれ。許してくれとは言わない。
家を支える柱を取るのは家を取り上げるのと同じ
生きるための資産を取られるのは命を取られるのと同じ
彼の家や財産、生活、娘やまさに彼のアイデンティティを奪われたら、シャイロックは生きていけないという風に私には見えます。スペイン異端審問所(容赦ない尋問)からナチスに加えて、改宗したユダヤ人でさえも(というか特に?)かつてユダヤ人だったということでしばしば殺害されたのです。私達はシャイロックの最後の台詞によって提案されたエンディングを選びました。
しかし、私達はシャイロックを被害者、もしくは暴力的な報復に対する、自身の無慈悲な執着がいくらか正当化された男にしてしまった罠に陥らないようにしました。シャイロックは間違っているのです。血生臭い彼のアントニオの追求は、屈辱によって正当化されるものではありません。シャイロックが慈悲深い人間であったならば、裁判は彼を大富豪だと認め享受するよう放任したことでしょう。我々はこの真実から避けることは出来ません。
この法廷ドラマは明白です。シャイロックをアントニオの鏡として見る一方で、両者とも頑固で偏執狂な男。二人は愛着と情熱ある金を悲惨な結果と混同したのです。そしてアントニオは見事なまでに複雑で憂鬱な人物です。バサーニオに対する執着は現代の目には同性愛に見えますが、おそらくシェイクスピアの時代ではそれはプラトニックで、彼のソネットに見られる、男性の切望のようなものだったと思います。
我々の現代のそれに同等するものは、戦闘中に兵士が話すような愛、もしくは単に官能的な愛よりも情熱的であるとされるものに当たるでしょう。しかし、我々は(確かに劇を歪めるといけないので定義しないでおくのがベストだろうが)定義し、アントニオを批判することが出来きます。彼のミッションは殉教のように見えます。彼は起こりうる犠牲を楽しんでいるのです。
ヴェニスにあるルネサンス期の教会を訪れることは、神聖な殉教者の悩める栄光を明らかにするでしょう(ティントレットはその素晴らしい肖像画家であります)。アントニオとシャイロックは同じ金貨のそれぞれの面であって、厳格で執着心があり、ジェシカとバサーニオ、それぞれへの愛を貫き通す事が出来ないような男達です。その悲劇に毒され、彼らは下方に向かう螺旋、自らが作った野蛮な渦の中に消えてゆく。劇の終わりまでに解決策を見い出す時間は決して与えられない。つまり、シェイクスピアの喜劇において特に他とは異なるエンディングです。
ネリッサと同様にポリーシャもいますが、ジェシカでさえ新風を吹き込み、女性らしい理屈や知性を与え、ヴェニスを悩ます男性の価値観に対して完全な軽視をもたらしています。こうした活力に満ちた女性達、つまりこの三人共が男装し、彼女らを虐げる男性を懲らしめるのです(ジェシカもまた父親であるシャイロックをだますとしても)。
もしこの劇が反ユダヤ主義を映す不穏な鏡だとしたら、フェミニズムの素晴らしい先駆けでもあります。「お気に召すまま」や他の作品は、女性は男性よりずっと賢明ですが、「ヴェニスの商人」では女性は劇の喉を掴み、男性の愚行にもかかわらず援助なしに解決策を作り上げるのです。我々の作品はこのことを賞賛し、泣かすとともに笑わせてもくれます。「ヴェニスの商人」は解決策を与えてくれる作品ではないのです(「マクベス」のように)。その人気は筋書きや強い個性、よく表している法廷のシーンなどにあるのですが、とりわけ我々自身に鏡を向けているからです。おそらく我々は自身が見るものを好きにならないかもしれませんが、シェイクスピアは真実を取引しているのです。自分達を、作品である鏡の中に見つけるのは、我々次第なのです。
ポール・ステッビングス ミュンヘンとヴェニスにて 2014年12月
シェイクスピア -ヴェニスとイギリスー
シェイクスピアは実際にはイタリアに行ったことがありません。彼は多くの作品の舞台をイタリアに設定していますが、そこの建造物や景色については全く触れていません。― コロッセオ、ピサの斜塔、アルプス、ヴェニスの運河などは彼のどの作品にも出てこないのです。登場人物の名前でも、ロミオの名字(モンタギュー)はフランス語ですし、「から騒ぎ」のシチリアの警官はドッグベリーと英語です。
シェイクスピアを惹きつけたのは、イタリアの景色や建造物などではなく、それが象徴するもの、とりわけ、何でも受け入れる柔軟性でした。ルネッサンス期のイタリアは独立都市国家の寄せ集めでしたが、シェイクスピアにとっては格好の題材、色とりどりの絵の具のパレットのようなものでしたし、イギリスの強大な隣国であるフランスやスペインを怒らせる危険もありませんでした。
当時、イタリアはヨーロッパの中心地でした。人口はイギリスの3倍もあり、イタリアの諸都市は世界の羨望の的でした。ヴェニスは現在のニューヨークのような存在であり、シェイクスピアはそういうイタリアに魅了されたのです。一方、南北アメリカ大陸には、まったく関心を示しませんでしたが。
「ヴェニスの商人」の中でシェイクスピアはヴェニスを、象徴として、また興味深い政治の実例として使っています。ヴェニスは大変に裕福で、しかも世界でも数少ない、そして最も強力な共和制の国でした。
作者シェイクスピアがヴェニスの政治制度を理解していたことは、劇中で明らかです。元首(ドージェと呼ばれる統治者)は貴族たちの中から選挙で選ばれ、ヴェニスの法律を守ると誓わされると共に、その権力は、行政全般を監督する一連の評議会や委員会によって制限されていました。ドージェはたいてい高齢でしたから、長い間支配することはほとんどありませんでしたし、ドージェの職が同じ家系に長く留まることもありませんでした。これは、イギリス政府の制度とはまったく異なるものでした。確かにイギリスにも法があり人権意識がありましたが、王は至高の存在であり、世襲制でした。そして法を超越する、王による絶対的支配の考え、いわゆる「王権神授説」が広まっていました。
シェイクスピアが生きている間にも、君主制が覆され、イギリスが共和制を宣言する可能性はありました。法と国家をめぐる論争は、彼の時代に最高潮に達していましたから。劇中で、裁判官に変装したポーシャは実に明確に述べています「元首(ドージェ)は法を変えることはできない、法は不変であり神聖でなければならない、さもないとヴェニスの貿易と信用は害され、さらには崩壊するであろう」と。(ファシスト政権下のイタリアとは大違いです。)
シェイクスピアはまた、貿易の中心地として特別な地位を持つヴェニスで、ユダヤ人が強力な存在感を示していたことを知っていたに違いありません。世界で初めてのゲットー(ユダヤ人居住区)は、ユダヤ人にとって監獄であると共に、保護区でもありました。その二重の機能はヴェニス市民のユダヤ人に対する態度の二面性をはっきり表わしていました:ヴェニス市民はユダヤ人をその能力と財力ゆえに必要としましたが、一方では彼らの存在を嫌悪し、差別していたのです。
この事実がシェイクスピアを惹きつけました。ロンドンには、さらにイギリスには、ユダヤ人はほとんどいませんでした。イギリスのユダヤ人たちは13世紀に迫害され、大量の流血の後、国外追放されました。特に、ヨークでは何百人もが火刑に処されました。しかしシェイクスピアは、さすがにシェイクスピアらしく、「マルタのユダヤ人」のマーロウのような過激な反ユダヤ主義に身を落とすことはせず、シャイロックに人情味を与え、彼に悲劇性を与えました。
近年の研究から判明したことですが、シェイクスピアは作家活動の絶頂期にロンドンでフランスのユグノー(プロテスタントで国外追放された者)の家族と一緒に暮らしていました。ユグノーの地位は、ヴェニスのユダヤ人の地位と同様で、ひどい差別や人種暴動の標的でした。それ故、彼は移民達に対していくらかの同情の念を持っていたに違いありません。特に、ユグノーとユダヤ人は苦しんだのです。裕福で組織力のある、最も脆弱な少数移民社会としての運命に。今の時代ではシーク教徒や東南アジアの中国人たちも似たような運命に苦しんできました。
シェイクスピアにとって、ヴェニスは、この難しい劇の複雑なテーマを検証するための虫眼鏡であり拡大鏡でした。しかし我々は、以下のことを決して忘れてはなりません。ヴェニスは音楽と愛の町であり(実際、近代の西洋音楽はパレストリーナやモンテヴェルディによってヴェニスで生まれました)、全ての人に何でも望むものを与えることができる所でした。驚嘆と恐怖、蓄財とまばゆい富、悪名高い高級売春婦と純潔な女相続人、強大な権力と強力な法など。ヴェニスは笑いとカーニバル、そして遠くからでも目をくらませるような華やかな欲望の町でした。たとえ彼が作品の中でヴェニスの運河やゴンドラについて全く言及していなかったとしても、ヴェニスは百花繚乱の共和国であったからこそ、シェイクスピアを虜にしたのです。